Run, Run, Run and Run

舞台俳優ファンの観劇記録

"君"のほねをまいたうみに/フロアトポロジー『くらげの骨』

 

 新宿スターフィールドでフロアトポロジー『くらげの骨』初回を観てきました。

 SFチックで不思議な話だということ以外は前情報を入れずに観たのですが、かえって物語に入り込めてよかったと思います。劇場がコンパクトで客席との距離が近いこともあり、独特で神秘的な世界観に没入できました。海中のような音と暗めの光が落ち着く一方でかなり不穏なんですが、開演前からすでにどこか違うところへ迷い込んでしまったような感覚に陥ります。天井の低さも相まって、本当にどこかの洞窟にいるような雰囲気でした。

 

 観終わって、日常と非日常、現実と妄想の境目の存在を強く感じています。

 けれどその非日常や妄想を作り出す狂気は私からするととても繊細でこわれやすく、あまりにあたり前に存在していて正気との境界もわからなくなるようなものでした。

「水上くんがおかしいなら私もおかしい、みんなおかしい。

 みんながおかしいってことは、…みんな"ふつう"ってことじゃない?」

 明るく見えて、よく考えるとぞっとする言葉。物語に出てくる誰もがズレを持っていて、そのズレが全部ぶつかり合ってあの世界を作っているような気がしてきます。唯一女子高生3人はズレがなかったのかな…、どうなんだろう。

 脚本も演出もとても好みで、約2時間いろんな仕掛けにどきどきしっぱなしでした。ひとつの場面の中でもしょっちゅう場所や時間が交錯するのに、ややこしくないどころかすっきりしているのがすごい。筋が複雑に思える話なのに一方でとても単純明快な気もして、難しいのにわかりやすいんです。

 モノローグも言葉だけ聞いたら説明調なのに全く違和感がなく、台詞を複数人で分割させていく部分がこちらに迫ってくるような力を持っていたのが印象に残っています。つながりが本当になめらかで耳にとても心地よかった。言葉が力を持って切れ目なく押し寄せてくる作風が好きなのかもしれません。人物も展開も何一つ無駄がない感じがして、一度脚本を書かれた方の頭の中を覗いてみたくなるくらい緻密な印象でした。ディズニーシーにセンターオブジアースってあるじゃないですか。この作品の(進行という意味での)展開はなんだかあれを思い出します。

 

 とにかく、多分私の語彙力ではこの作品の圧と熱量はなかなか伝わりきらないと思います。もう終わってしまったけど少しでも気になった方は是非観に行って欲しかったです。私は今回改めて小劇場の楽しさっていうのか、よさっていうのか、そういうものを感じました。新宿だし、マチネもあるし、約2時間で濃密に楽しめるという行きやすさ!✨ きっとどんな人も驚くような体験ができたと思います。

 パンフレットを買い忘れてしまったのだけがとことん心残りです。観劇の翌日にツイッターで拝見したらすごく素敵だったので、もしまたフロアトポロジーさんの作品を観に行く際はぜひその公演のパンフレットを購入しようと思います。

 

 以下の追記部分はネタバレ配慮なしの感想です。公演中に書き上げたかった…。


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あくまで個人の感想です。

また、セリフや演出などは一度観た記憶を頼りに書いているためところどころ間違っているかもしれませんがご容赦ください。

 

 

◯「君の骨をまいた海にぼくは今ゆっくりと沈んでいく」

 最初と最後で意味が180度変わっていてぞっとした台詞。蛯原が元・三上だとわかってから彼のちょっとした話し方とか笑い方とかがとても水上に似て感じられて、それがすごく不思議でした。最初から似ていたのか、それとも同じ人だとわかったから似て聞こえるようになってしまったのかどっちなんでしょう。彼の記憶のすべてが作り物であったこと、それを頼りに生きてきたこと、それに対して彼がまったくの無自覚であったところにぞっとします。でも"蛯原"はきっと心の底から透子先生を愛していたし水上への憎しみも本物で、そうすることで自分の精神を保っていたんじゃないでしょうか。

 だから私は彼の物語を嘘だとは思えません。あれは彼の世界の真実であって、外から見れば偽りだけどそれを否定することは彼以外の誰にもできなかった。物理的にそんな人がいなかったせいもあるけど、きっと地上にいたとしても彼が認めない限りあの過去は現実として在り続けるんだと思います。

 もしかすると彼のさんとの会話は無意識のうちに「嘘」を認めていたのかな。彼女も私もそれが「第三者目線から見ても実際に起きたこと」という意味での【真実】だと解釈した(と、思う)けど、蛯原の深層心理ではそれが自分の作り上げた物語だと本当は認めたがっていたのかもしれない。なんて思います。

 

 冒頭、客電も落ちた真っ暗闇で始まる彼の記者会見は今思えば見事なミスリードでした。他の判断材料が与えられないまま差し出された物語を、雛が初めてものを見たときのように盲目的に本物だと信じ込んでしまった。というより、信じ込まされてしまった気分です。

 まさか最初に嘘を渡されるとは思っていなかったので、まんまと転がされました。悔しいけどこういう世界がひっくり返る仕掛けはすごく好きです!こうして後から考えていると、じゃああの部分は?とどんどん疑心暗鬼になるのも含めて楽しいです。(笑)ちゃんと読み返すとIntroductionもうまく書いてあって、つい『果たせなかった復讐』と『得られなかった赦し』の二項対立だと思ってしまうけれど蛯原 = 水上においては同じ人物の中に同居しているっていうのが…。もちろん他の人物の視点からしたら「復讐」と「赦し」は別物なんですけど。

 見出しにした台詞だけでなく、話全体の意味が180度変わって見えるのが最高にスリリング?エキサイティング?みたいな感覚でドーパミンが出ている感じがします。その変容によって水上と蛯原、透子先生と波打さんのように対極に見えて似通った部分のある存在が引き立ち、彼らがより効果的に生かされていた印象でした。

 

◯一人一人の中のズレ

 今回の登場人物たちは、蛯原や水上など明らかにどこか様子がおかしい人以外にも内面に何かしらのズレがあるように思えました。

 特に顕著なのが、透子先生と姫川先生のN高大人組です。

 透子先生は一見ごく普通の常識人で生徒に好かれるよい先生ですが、その実水上に「なんだかほっとけない」ものを感じ特別に構ってしまうアンテナを持っていました。教師という仕事に就く人としては何も問題がないどころか優秀ということなのかもしれませんが、舞台を観ているときは透子先生から水上くんへの接し方は何か怖いものがあったのです。

 水上を思うあまりに出た「水上くんがおかしいなら私もおかしい」という発言は水上のことを想っているのはわかりますが、なんだかモヤモヤして。そしてそれだけ水上のことを考えていたにも関わらず、彼女は次のように言い放ちます。

「殺したいなら、わたしで終わりにしなさい。」

 それはもしかしたら和泉を見殺しにした水上への赦しであり、水上自身ではなく先生を殺すことで自分への罰の代わりにしろという意味だったのかもしれません。でも、結果的にこの発言が水上の動機となり他の2人の命を奪い事件のきっかけになってしまったのには変わりはなくて。終わりに、という言い方には和泉のことも水上が殺したという認識が透けているように思えます。それは見殺しにしたか突き落としたかは別としても「和泉さんは自分のせいで死んだ」という自覚を突きつけるには十分な言葉ではないでしょうか。

 

 姫川先生については、異様なほどの無神経さとそれに対する無自覚にゾッとしました。事件後真帆のお兄さんが亡くなっているにも関わらず、運がよかった悪かったの話をする考えのなさ。菫ちゃんの非難にも何が悪いのかさっぱりわからず、どうしたと言えてしまう彼には怖いを通り越して脱力します。余談ですが、ここでずっと先生いい加減にしてと思って聞いていたら菫ちゃんがジャストタイミングで代弁してくれたのでものすごくスカッとしたと同時にびっくりしました。計算がすごい。

 きっと姫川先生は真帆ちゃんが学校をやめてしまってもそうかとしか思わないし、何年か経ってから平気で事件の話を生徒に語ったりするんだろうと思います。無神経なのか関心がないのか受容能力が異様に低いのかはわかりませんが、おそらくそうそう変わるものではないのでは…。

 

 子供世代は和泉さんより九ノ戸美湖ちゃんのほうがにこやかにズレていた分恐ろしかったです。彼女は自分のイマジナリーフレンドである姉が実在しないのをわかっていながら、自分のズレを受け入れてそれと付き合っているのがこわい。自分の感情がぼんやりしすぎてうまく言えません。

 だけどあの世界は蛯原の精神世界ですべての人物が実体をもたないと考えると、果たして美湖ちゃんのイマジナリーフレンドは本当にいたのか分からなくなってきました。美湖ちゃんが生前からそうした傾向があり、水上くんがそれに気づいていたのかどうか。もしくは、長年の生活の中で水上(=蛯原)自身が美湖の言動に関係なく葉流を造り出してしまったのか。答えはきっと角畑さんの頭の中にしかないんでしょうけど、これはさすがに設定を疑いすぎですかね?笑

 イマジナリー姉の部分はともかく、真帆ちゃんへの執着も恋心とか尊敬とかでおさめていいのかどうか迷う雰囲気があって最初はそっちも不穏になるのかなと正直思っていました。まさか亡くなっていたとは思いませんでしたが…。どう考えても別れたって知ってるのは流していい案件じゃないと思うの。

 

  空想世界なのに想像の人物が空想主の表面的な意図と関係なく動き回り、自分に向かってくるってちょっとしたホラーだと思います。今回は葉流ちゃんの台詞にもあったように蛯原自身がそれを望んでいたわけですけれど、それと向き合うってどんな気持ちだったんでしょう。望んでいるけど望んでいない自己の直視、普通に生きている私にだって相当勘弁してほしい部類に入ります。罰ですよね。

 それにしてもあの洞窟?での生活はどこからが非現実でどこからが現実(第三者が観測できるという意味で)なのかがわからないのが良いところだと思いました。曖昧だからこそ美しくて、はっきりしないのがいいなって。ラストさえ第三者の存在が信じられなくなって、永遠に罪の意識のなか水上さんは苦しむのかなそもそも私はどの視点でこの物語を観ていたのかなとあの世界から抜け出せなくなってしまった気さえしてしまいます。あれがもし夢から覚めた夢みたいな世界だとしたら、本当に終わりはないのかも。(もしくは、もう終わってしまっていたりとか)

 

 ところで見出しとは関係ないんですが、どうして真帆ちゃんにあれだけ不幸が集中したんでしょう。お兄ちゃんが数少ない犠牲者の一人で、だいすきだった透子先生も亡くなって、本人は知らないとはいえその2人を死なせる原因になったのは透子先生で。物語だからと言えばそれまでですが、どこかで少しは立ち直って前向きに生きていてくれることを願います。

 

◯嘘つきゲームと水上拓

 現実世界の中で嘘つきゲームがちゃんと行われたのは、私の記憶が正しければ和泉さん・水上くんの会話と波打さん・蛯原さんの会話の中ででした。もっとも尺が長かったであろう透子先生と蛯原の間のものは蛯原の妄想に過ぎません。

 あのゲームの中で、透子先生は和泉さんのことばをなぞります。単純に水上にとっての和泉さんが蛯原にとっての透子先生にすり替わっただけにも思えますが、なんだか蛯原の中の水上くんを感じてネタばらしになんとも言えない気持ちになりました。結局蛯原さんは水上くんで、それ以外の愛は知らなかったんだなという感じがします。知ることができなかったというほうが正しいのかな。

 ずーっと蛯原さんが嘘をついて生きていたことを考えると、嘘の嘘は本当になってもいいような気がしますが彼が波打さんとしていた嘘つきゲームの中身はちゃんと嘘でした。というか蛯原さんにとっては本当なんだけど外から見たら嘘で、その入れ子構造っぷりが好きです。

 水上くんに話を戻すと、彼の本当ってなんだったんだろうと思います。和泉さん以外との生徒との関わりも描かれないし、彼女を大事に思っていたことはわかりますがそれ以外の情報が面白いくらいに落ちなくて謎な人物でした。野球部っていうのも意外でツイッターを二度見しました笑 正直な話スポーツやってるイメージがなかった。

 水上くんは和泉さんのためなら何でもすると言ってたけど、あまりに従順すぎていい感じにもだもだしました。助けられなくてごめんねと言ってはいたけど、だからと言って彼女を止めたり救ったりしないのがこの作品らしいなと思います。従順って果たして愛とかやさしさなのかなぁと考えたら一般的には決してそうとは限らないし正解(っていうものがあるのなら)だとも限らないけれど、和泉さんと水上くんの場合はあれしかなかったんだとしっくりくるので。きちんと和泉さんの骨をまいてあげたであろう水上くんは何を思ってたんだろう。

 会話のどこまでが現実に起こったことなのかは何にも保証されていないんですけどね!!記憶って本当に過誤が起きてしまうものらしいですし。探偵がいないからそのへんの保証がなくて面白いです。

 

◯「くらげになりたい」

 全編を通して一番涙腺が熱くなったのがこの台詞でした。理由は今でもわかりません。

 和泉さんは自分の心のうちとか内面ってものを外に見せない子に感じたんですが、そんな彼女の思いが垣間見えるのがここと「どうしてまだ覚えてるの?」だと思っています。やってたことはだいぶ無茶なのに優しい子に思えるのは何でだろう。

 彼女が苛められるようになった理由とかきっかけとか分からないことは多いけど、「まだ死んでなかったんだ」とまで言われるような世界で水上くんの存在は確かに光であったと信じたい。遅すぎた感はあっても何もないまま死んでしまうよりずっとよかったんじゃないでしょうか。水上くんがいたから自分じゃできなかった復讐も叶ったし、自分の生きた痕跡も深く残していけた。水上くんが忘れてくれたら一番よかったんでしょうけど、さすがにそれは無理でしたね。

 真帆ちゃんたち目線では何を考えているのか分からない上にちょっと不気味みたいに描かれる和泉さんが、水上くんにはごくふつうの少女に見えていたのが救いでした。笑顔の和泉さんはすごくかわいらしかったし、無邪気にはしゃぐ姿は楽しそうでした。和泉さんには水上くんが(すごくベタながら)可哀相に見えていたとしても、真っ直ぐに彼女を見て海よりも好きだと言ってくれる人がいてくれてよかった。あのシーン、だんだん和泉さんの声が涙で詰まってくるのが音だけどキラキラしていて切なかったです。絶対泣かないのに泣くよりも泣いてるのが伝わってきたっていうか。あそこで死んでしまうから美しいのは百も承知で、それでも生きて幸せになってほしかったなあ。

 和泉さんは和泉さんなりにかなりSOSを出していた気がするんですが、それは私が勝手に受け取りすぎているのかもしれません。上でも書いた通り水上くんがそう思わないのは水上くんが水上くんたる所以だし、精神的には多少なりと「一番好き」で救えてた部分もあると思います。というかそうあってほしいです。

 

◯正義の人

「だと思いました。乃木さんは、正義の人ですもんね。」

 出所した水上の行方を尋ねた海月姉の、乃木弁護士へのことばです。正義の人ってなんだろう、っていう部分が引っかかって記憶に残っていました。

 紗央里さんは妹を亡くしてからだんだん心のどこかがおかしくなっていく様子がじわじわ効いてきたのですが、その彼女が言う正義は自分と対極にあるもののようなニュアンスを持って聞こえました。紗央里さんは水上が出所するまでの10年間で随分雰囲気が変わって、仕方のないことなんだろうけど妹の死に囚われたまま動けなくなってしまったのがいっそ可哀想でした。まああの状態で彼を見つけたら確実にただじゃすまないと思うんですが…。

 乃木さんが変わらない信念と芯の強さを持ち続ける一方、紗央里さんは憎しみとか後悔とかに侵食されてかつての表情が抜け落ちてしまったように見えました。正直彼女の笑顔は怖かったです。そこへ毅然として対応する乃木さんの背中と視線とことばはいつも真っ直ぐで、これが紗央里さんの言う"正義"だったのかもしれないと思います。自分の考えや感情がどうということではなくて、もっと上の次元の概念に従って動く人。

 私の解釈では、そういうある意味で冷たい意志を持つ部分が紗央里さんのいう「正義の人」なんじゃないかと思っています。

 でも正義って人によっても局面によっても形や姿を変えるものですよね。だから紗央里さんにとっては乃木さんの正義は相容れないものだった。自分はそれに身を委ねられないと思うからこそ、もしかしたら自虐も込めて、自分とは違う乃木さんの姿を"正義の人"と呼べたのではないでしょうか。

 水上に辿り着いた紗央里さんが彼が取り憑かれている妄想ー紗央里さんにとってはただ都合のいいように考えただけの嘘ーを知って笑いが止まらなくなったとき、なんとなくあ、この人はこのまま死んでしまいそうだなと思いました。何も根拠はありません。ただなんとなくこの先彼女が水上に会うことはないし、もしかしたら誰にも会うことはないんじゃないかなという予感がしただけです。

 

 いつもの事ながら書き始めてから終えるまでものすごく時間がかかるのをなんとかしたいです。精進しないとなぁ( ´ ー `  )

 最後に、今回『くらげの骨』を観た方にオススメしたい作品を舞台作品と小説と一つずつ貼っておきます。アフィリエイトとかは一切ないのでよかったらどうぞ。

 

★少年社中/『パラノイア★サーカス』

www.shachu.com

・ネタバレでしかありませんが作品の構造に蛯原さんの世界と通じるものがあると思います。DVDも東映ショップの他、紀伊國屋書店ウェブストア・新宿本店で購入できますので是非。少し奇妙で不思議でミステリアスな世界が好きな方には向いていると思います。

 

はやみねかおる/『「ミステリーの館」へ、ようこそー名探偵夢水清志郎事件ノート』

bookclub.kodansha.co.jp

・観終わって真っ先に思い浮かべたのがこの作品でした。児童文学ですが全体に漂う不気味さやそれが持つぞくぞくするような魅力は『くらげの骨』に似たものが大いにあると思います。特に袋とじの中身、その文章の仄暗い感じは抜群におすすめです。もっとキツいものだと同じくはやみねさん別名義の『赤い夢の迷宮』(http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000205364)がありますが、私はラストがかなり胸のあたりにウッときたので積極的にオススメはしません…。文章に禍々しさが詰まってる感じ。嫌いとかじゃないんですがとてもエネルギーと体力を使うのでなかなか読み返せていません。

 

 長々と失礼しました。少しでも「観に行けばよかった!」と感じていただけていたら嬉しいです。最後までお読みいただきありがとうございました!

 

RedBeard